「やっちゃった……」
暗さを忘れるほどの茜色の空を見上げながら、
川の土手に座り込んだわたしはため息をついた。
ずっとため込んでいた何かを、遂に吐き出してしまったのだ。
それは爽快感では、ましてや達成感でもない。
ほんの少し、すこしだけ落ち着いて反省していれば、何もなかったはずなのに。
感情のコントロールというのはむずかしい。
「はぁ、さいあく」
気まぐれな自分を責めたくなる。
母からしたら、こんな子どもがいたら大変だろう。
一度だけでいいから、きちんと前を向いて冷静に話し合ったほうがいいのか。
たとえ相手にされなくても。
「帰ろうかな」
「……さき、早季」
弱音を小さく吐いたところで、後ろから声が聞こえた。
「ここだったか」
「お父さん!」
振り向くと、身一つの父親の姿があった。
わたしたちがいるこの川沿いは浅木町を縦断するように流れ、
町民の通学・通勤路になっている。
いつもは父の通勤路でもあるのに、このときは鞄すら持っていなかった。
「お父さん、仕事は?」
「さっき帰ったところだよ。
早季が家を飛び出したって、お母さん心配してたぞ?」
いつもはのんびりとしている父も、今は息が荒い。
当然だ。
自分の子どもがいきなり家を飛び出したら、親が一番必死になる。
「ごめんなさい」
「ふぅ、まずはお母さんに謝らないと。 いいな?」
「はい」
「まぁ、すぐ見つけられてよかったよ」
灰色の冷たいコンクリートを見つめ続けるわたしを気遣ったのか、
川の流れを追いかける父は続けて言う。
「早季。 ここの土手、憶えてるか?」
「うん」
いやなことがあると、いつもここに訪れている。
テストの結果がわるかったときも、家の食器を割ったときも、
どんなときでもここに逃げてきた。
だが、よくよく考えると母親からただ逃げたかっただけなのかもしれない。
「この川べり一帯。 昔の早季は目にするだけで泣きじゃくってたって聞いたぞ」
「そうなの、ってそんなに昔のこと?」
「早季がこっちに来る前だよ。 ほら、施設にいた頃の」
施設。
そう、織辺家に引き取られる前にいた“わたしの家”。
もう記憶も何も小さかったことから、あまり憶えてはいない。
「ごめん、もう憶えてなくて。
施設にいたときのわたし、どんな子だったの?」
「どんなって……むずかしいな。
村川くんなら詳しいかもしれないが」
「村川くん?」
「施設に勤務してた、……知らないだろうな」
いろいろお世話になってたのは知ってはいるが、
1人ひとりの顔や名前まではさすがにわからない。
「うーん、憶えてない」
「そうか」
父はまだ話し足りないのか、腕を組んで思考を始める。
「村川くんとこの息子さん、春樹くんといったか。 たしか同級生だろ?」
春樹くん!?
苗字が同じなだけかと思ったが、そうではなかった。
「う、うん。 実はその、今日一緒に勉強してた」
「なんだ仲がいいのか、それはいいことだ。
また学校で出会ったら、春樹くんにお礼を伝えてもらうように言っておきなさい」
お父さんが知ってるなら、春樹くんももしかして……。
何かがひらめきそうで、何も起きない。
「うん、伝える」
「長話が過ぎたな。 お腹も減ったし、帰ろう」
ちょっといいことが聞けたな、とふわっとはにかんだ。
「うん!」
*
家に着くころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
ドアノブに手をかける前に、父がふと振り返る。
「そういえば、聞きたいことがあるって?」
あ。 と何かが脳裏に浮かんだが、
「今は、いいの」
「そうか」
気まぐれなんだ、わたしは。
ちょっといいことがあると、いやなことが直ぐにどうにでもよくなる。
他の人からすれば、変わっているのだろうか。
今のわたしにはそれを理解するにはほど遠い。
「ただいま」
「おかえりなさい……!」
母・幸恵は2人を見るやいなや、わたしに向かって飛び込んできた。
っ!
また怒られるんだ、そう感じていた。
しかし、現実はちがった。
「ごめんね」
「お、お母さん?」
両手で包み込むようにぎゅっと抱きしめられた。
人生で、初めて、母親に。
夕飯を作って待っていたのか、エプロンからはまろやかな肉じゃがの匂いがする。
幸恵……。 と隣で佇む父は、どこか憂いのあるような表情をしている。
「ごめんなさい」
あたたかい涙がとめどなく流れる母は、続けて口にした。
「香織」