私の娘 7.今年で最後かもしれないからね
訪れた休日の朝、春樹くんを連れた明里たちはわたしの家にやってきた。
「やっほー!」
「こんにちは」
一人は軽快に、もうひとりは丁寧に。
数学の課題ひとつに、わざわざ集まるのは不思議に思えるが、かまわない。
今日、母は仕事が休みで、自宅はいる。
だが、明里たちが来ることは事前に言っているので大丈夫だろう。
多少のゴタゴタがあっても、他人の前で態度にでるほどの人ではないとわたしは思う。
「先に二階に上がってて。 突き当りが私の部屋だから」
家に上がった2人にそう伝え、わたしはキッチンへ向かった。
コップにお茶を注ぎながら、リビングの奥にあたるソファを覗くと、母が読書をしていた。
後ろ姿でさえも、今はなるべく視界に入れたくはない。
お茶を注ぎ終えたあと、トントンと階段を上って自室に入った。
*
カチカチとまわる秒針の音だけが部屋中に伝わっていく。
「ねぇそろそろ休憩しよ、体全体痛いわぁ」
「まだ一時間も経ってないじゃない」
返事を待たずに、おもむろにストレッチを始めだす彼女を前に、衝動的にお腹を擦る。
ストップストップ!と大声を挙げる明里。
「手洗い借りていいかな?」
急に遊び出すわたしたちに戸惑ったのか、春樹くんが聞いてきた。
「うん。 階段のすぐとなりにあるよ」
「ありがとう」
部屋を出ると、なぜか階段を下りていく音が聞こえる。
一階にもトイレはあるので、とくに問題はないだろう。
*
「春樹くん、遅いね」
それから、十数分後に勉強を再開しようと思ったが、彼が帰ってこない。
「まぁそのうち戻ってくるでしょ」
横になり、目を瞑ったままの明里は続けて言う。
「今日、早季のお母さん休みだったよね?」
「うん。 リビングで本読んでる」
そっか。 と口を開いたあと、
「わたしが言うことじゃないけどさ、
最近、無理してない?」
「え?」
無理、をしているのか。
いや何に無理しているのかがわからない。
「ほら。 お母さんのこととかさ」
あ、鋭い。
そう感じざるを得なかった。
わたしがこの家に住んでいる理由を彼女は知っている。
それでも、この一ヶ月のあいだに起きたことは、明里を含めて誰にも話してはいない。
話したくはない、ことがもし枷になっているのだとしたら……。
「気をつかってくれてありがとう、明里。 でも大丈夫だよ」
「そっか、あとで困りごとあっても知らないからねぇ」
そのとき、部屋のドアが開く音がした。
「ごめん、遅くなって」
絶妙なタイミングだった。
母の話に移りそうで、またモヤモヤが出てきそうになるのはなるべく避けたい。
「2階にもトイレあったんだよ」
そうだったの。と彼は頭の後ろに手をあてた。
*
勉強会とは言ったものの、3人集まれば遊んでしまうものだが、
「そう。 で、同じ数字をまとめてみて。」
「まとめる、えっと2の3乗?」
「うん、それで合ってる。 あとの問題も同じやり方でいけるよ」
「ありがと」
「中谷さんもそれで最後だね」
実はわたしたち、やるときはそこそこやるんじゃないだろうか。
最後の問題を解き終え、彼のおかげで提出期限に追われていた課題は難なく終わった。
明里のナイスな助言から始まった勉強会。
本当にただ普通に勉強をするだけで終わったが、それで十分だ。
「いやー今日は助かったわ!」
靴を履きながらホッとした顔つきになる明里は、
またよろしく! と彼にジェスチャーを送る。
「そういえば、いいの?」
そのまま、彼女は投げかける。
「いいのって明里が言い出したんじゃ」
それは置いておいて。 と委細構わずに背中を押す。
「どうしたの?」
わたしだけ理解が及ばないままでいると、間が空いてから彼は言った。
「その……浅木祭り、よかったら3人でまわらない?」
祭り!
「行きたいよ! 行こう!」
明里は、結果を知っていたかのような顔つきで腕を組む。
「ま、今年で最後かもしれないからね」
勉強会に続いて、祭りの約束までしちゃったとか。
獅子舞があるから時間は短いかもしれないけれど。
楽しみがひとつ増えたことが素直にうれしい。
家の外でわたしは手を振りながら、
「じゃ、また学校で!」
「うん、またね」
向こうも手を上げようとした瞬間、彼の腕を強引に振りだす明里。
となりの春樹くんもまた笑みを浮かべていた。
*
2人と別れて家に戻ると、母が玄関で待ち構えていたかのように立ち塞がっていた。
靴を脱いで上がりたいが、素通りは許してくれそうにない。
「なに?」
「早季。 祭りは獅子舞だけを終わらせて帰ってきなさい」
「でも」
すぐに否定したいのに、言葉が詰まってしまう。
「あと定期考査が近いのに、お友達と勉強会だなんて大丈夫なの?」
「こ、この前、呼んでもいいって言ってくれたから」
「勉強するならいいとは言ったわ、でも騒いでたでしょう。
リビングから騒ぎが聞こえるくらいだったんだから」
なんだか今日は少し攻撃的に感じる。
ここまで言われ続けると、わたしだって少し腹が立つ。
「今日は、ちょっと宿題をみんなでやろうって集まっただけだし」
「だから言ってるのよ。
あと、村川くん。 真面目なのはあの頃から変わらないわね」
「春樹くんと話したの?」
「年頃なのはわかるけれど、少しは考えて行動しなさい」
訝しそうな目つきをしながら続けた。
「香織はもっと……」
「う、うるさい!」
「こら! 親に向かってうるさいとは何よ!」
っ! ぴりぴりとした怒りが表に出る。
……逃げたい。
踵を返して、そのまま家の外に飛び出した。
「ちょっと早季! 待ちなさい!!」
激昂した母が後ろからわたしを呼んでいる。
振り返りたくない。
モヤモヤが晴れないまま、ただ走り続けた。
どうして“あの子”とわたしを比べようとするのか。
黄昏に染まる空の下、ちょうど見上げると太陽はどこか泣いているようにみえた。