私の娘 9.感謝してもしきれないよ

 浅木祭り当日。

朝から御子島神社に訪れ、獅子舞の準備に追われていた。

 

普段はこの時間に学校があるが、今日だけは公欠というかたちで休んでいる。

 

早朝から登校する子どもたちとはちがう一日を送る、

それだけで何か特別な気分になるのはわたしだけだろうか。

 

「早季くん、駐車場に停めてる車に予備の鈴と刀、入ってるか見てきて」

 

「はい!」

 

今日一日の半分は祭りの雑用、いや準備と片付けだ。

 

獅子舞は毎年11月の最後の週をもって、浅木町周辺の地下回しを終える。

 

本来ならもう少し長い期間をもって学校や施設、企業を巡るのだが、

小さな田舎町は一週間もあれば十分なのだ。

 

田舎の風習に慣れ親しんだわたしにとっては、それでも骨が折れるが。

 

そして、最終日にあたる奉納を前にして、

この日は浅木祭りの舞台である「御子島神社」で獅子舞の披露が行われる。

 

テント張りや機材の搬入などの準備が沢山あるが、

“獅子舞関係の人”ということで、それに関する作業だけをこなした。

 

何時間か過ぎたころ、会長が外に向けて大きく声を上げる。

 

「よーし、そっちは最後の荷物運んだら終わろうか」

 

はーい、と午前の準備だけで疲労しているわたし含むみんなが返事をした。

 

ちょうど周りで点てられていた祭り用のテントも張り終えて、

一斉に休憩をとることとなった。

 

「つかれた」

 

時刻は14時過ぎ。

 

午前中に終わると言っておきながら、この時間の過ぎようである。

 

人手が足りないと本当につらい。

 

夜まで時間があるので、一度家に帰ろうと思った矢先、

 

「早季ちゃん?」

 

となりで飲み物を配っていたグループの一人が声をかけてきた。

 

「はい、早季……です?」

 

確認するように名前を聞かれ、反射的に返事をする。

 

いきなり知らない男性に名前を呼ばれると、さすがに戸惑いを禁じ得ない。

 

「おお、早季ちゃん」

 

その男性は、首から掲げていたストラップを手をあてながら言った。

 

「村川義樹です、春樹の父親といったほうがいいかな」

 

あ!

 

相手よりも驚いたわたしは目を丸くする。

 

「あの、もしかして施設の……」

 

「憶えててくれたのか、嬉しいなぁ」

 

憶えては、いなかったと思うけれど。

 

「大きくなったねぇ。

 いまの暮らしのほうは順調?」

 

「順調です。 でも、まだぎこちなく感じるときがあったり」

 

「そうか。

 まだ慣れていないとそう感じることもあるよ」

 

にこやかな笑顔で続けて言う。

 

「本当に、もう本当に良かった。

 織辺さんには感謝してもしきれないよ」

 

感慨にふけている、のだろうか。

 

このような気持ちはお世話していた側にしかわからない。 

 

そう、わたしは勝手に納得するほかなかった。

 

「今日は朝から準備に来てくれたの?」

 

「は、はい。 えっと村川さんも?」

 

「僕は、仕事の一環でね」

 

そう言うと、少し離れたところでひとり居座っている少年を指さした。

 

「きみとは少し事情が異なるけど、あの子はいま親元を離れていてね」

 

見た感じ、まだ小学校低学年くらいにみえる男の子。

 

木の棒らしきものを持ち、ずっと地面をつついている。

 

手伝いに来たようではなく、とはいっても楽しそうには見えない。

 

「あの子だってまだ親の庇護のもとにいるべきはず」

 

唇をかむ村川さんは、少年のほうをじっと見つめていた。

 

子ども一人ひとりのすぐそばに、親がいるなど当たり前のことではない。

 

わたしがそう思い始めたのは、織辺家に引き取ってもらった現実があったからだ。

 

毎日学校に行ったり、ご飯を食べたり、遊びに出かけたり。

 

こうしたごく普通の暮らしができているのも、きっと今のわたしに家庭があるから。

 

それは揺るがない事実であるのに、親に感謝するべきことなのに。

 

母は、母はわたしのことを本当はどう思ってるんだろう。

 

「おっと、暗い話をしてしまったね。 今日はどうして準備に?」

 

「今日は、獅子舞の準備で来てて」

 

獅子舞! と声に出したので、驚いたと思いきや、

 

「それ春樹から聞いたよ、太鼓たたくんでしょ? すごいねぇ」

 

実に、意外だった。

 

春樹くんは大人しいし、家のなかでも寡黙な人だとずっと感じていた。

 

だから親には話していたことに驚きを隠せない。

 

いやここで驚くのはおかしい?と遅れて自問自答する。

 

「そういえば、あの頃はまだ春樹も小さくてね。

 同じお年頃の友達ができそうで、家でははしゃいでいたもんだよ」

 

「そうだったんですか、でもわたし初めて喋ったのは中学からで」 

 

ははは。 と村川さんは苦笑した。

 

「学校では恥ずかしがり屋なのかもな。

 いま仲良くしてるなら、それはありがたいことだよ」

 

言われてみれば。 と心のなかで同意した。

 

「準備の方はあらかた終わったし、このあとは?」

 

「あ、一旦家に帰ろうと思ってて」

 

「そっか、呼びとめちゃったね。 太鼓がんばって」

 

「ありがとうございます!」

 

深く頭を下げてお辞儀をした。

 

もう自分の記憶にはない、幼少期の面倒をみてくれたことに。