私の娘 6.早季が一番うれしいんだから
「今日も仕事?」
玄関で靴を結ぶ父の背中を目にして、わたしは後ろから声をかけた。
「あぁ。今日は遅くなるから、お風呂の掃除頼んでいいか?」
「うん」
「最近、母さんと上手くやってるか?
この前、ちょっとした口論になってな」
父は僅かにかすれた声で、わたしの身を案じた。
「大丈夫だよ。 でも、夜帰ったら聞きたいことがあるの」
「わるい、今日は会議で遅くなるんだ」
「そっか。 だったら休みの日でも」
台所からは水音が聞こえる。 母は洗い物をしているのだろう。
「わかった、じゃあいってくる」
「いってらっしゃい」
暗い気持ちを払拭させるように、さわやかな笑顔で見送った。
*
「中谷さん。今日はあんまり元気ないね」
お昼の休憩時間、春樹くんはうつ伏せているわたしの机にやってきた。
「大丈夫だよ、ちょっと体が重たいだけ」
気遣う彼を心配させまいと、微笑んで体調を伝えた。
せっかくの休日――。
2日続けて起こった現実に、まだ頭から離れない。
元気でいられるほど、わたしは性根がすわっていないのだ。
そういえば……と、彼が演奏を観に来てくれたことを思い出した。
「あの、先週の獅子舞、観に来てくれてありがと」
思いだすだけで、紅潮する顔をわたしはおさえながら、お礼を言った。
いま思い出したような自分の素振りを感じたが、それは仕方ないものだ。
「ふだん学校ではみない姿だったから、ちょっと緊張したよ」
「あはは。 私も演奏してるときは、ね」
和やかな雰囲気のなかで話を続けていると後ろから、
「早季!」
プリントをくしゃくしゃに纏めながら、明里がわたしに寄りすがった。
どうしたの。 と不安げに聞くと、
「数学の課題終わってないの~。 いっしょに手伝って、ねぇお願い」
「いいけれど。 ……わたしもまだ終わってないし、教えられないよ?」
休日に終わらせるつもりだったわたしも、まだ手をつけてすらいなかった。
「えぇー、じゃあ一緒に終わらせようよ」
「うん。 週末は空いてるから、いつもの勉強会だね」
「いつもありがと!」
定期考査が近くなると、いつも明里と共に勉強会をひらいている。
今期もまたその時期がやってきたのだと思うと、少し憂鬱だ。
特に、獅子舞の練習を言い訳にできないというところに。
「あ、でも課題範囲の問題、全然分かんない。 早季は分かる?」
「ごめん、分からないの。 放課後、先生に聞きに行く?」
「いや、聞きづらいのよね。数学の先生こわいし」
「それ、僕はもう終わってるけれど、……よかったら教えてあげるよ」
「いいの!?」
どんづまりに陥るところで、突如として春樹くんの救援が舞い降りた。
しかし、胸のうちでこっそりと喜ぶわたしに気付いたのか、明里は間髪入れずに言う。
「せっかくだし、早季の家で勉強しよっか」
「え」
ちょっとそれは、と躊躇するが、彼女は聞く耳を持たない。
「僕もおじゃましていいの?」
「もちろんよ、来てくれないと私らが困るよ。 ねぇ?」
いや、彼はわたしに聞いてるのだけれど。
最後にわたしの顔をみた明里は、どこか気分上々だ。
「早季が一番うれしいんだから」
――これが彼女の独擅場である。
じゃ、週末に。 と彼女は続けて、
「春樹くん、早季の家知らないでしょ。
いっしょに行こうよ、道案内してあげるわ」
わたしの自宅を知らない彼は、彼女の案内で行くこととなった。
予鈴が鳴り、元の席に帰る2人の背中をみて、わたしは思案をめぐらした。
いまの家庭環境は、控えめに言って複雑だ。
何もなければいいのだが……。