私の娘 5.知らないほうが、幸せでいられるんだ
気付いたらベッドの上だった。
====
朝日がまぶしい。 薄黄色のカーテンから光が差し込んでいた。
どうやらリビングで寝込んでしまっていたようだ。
お父さんが運んでくれたのだろうか。 私服のままだが。
朝日から逃げるように寝返ったわたしは昨日のことを思い出した。
昨日のお母さん、何を考えていたのだろう。
香織ってお母さんとお父さんの子ども?
わたしがこの家に来たときは香織なんて名前、見たことも聞いたこともなかったのに。
傍の時計をみると、9時12分。 遅起きでも構わない。 今日学校は休みだからだ。
思案に暮れても何も起こらないし、楽にはならない。
体を起こして、一歩いっぽ確かめるようにして階段まで下りると、
父がコーヒーを飲みながらリビングで一服していた。
「……おはよう」
「あぁ、おはよう。 昨日はいつ帰ったんだ? 遅かっただろう」
父はあのとき、わたしが帰宅した時間を知らなかったようだ。
「ちょっと練習が長引いてて遅くなったの」
誠実な父を前にして、衝動的に嘘をつく発言には心が痛む。 ここは話題を変えるべきだ。
「お母さんは? 今日休みだよね?」
「お母さんは、朝早くに墓参りに行ったよ」
少し間があったような気がするが、おっとりとした天然気味の父の言葉には慣れている。
*
遅めの朝ごはんを食べたあと、わたしはリビングにいる父に目を向けた。
父は録画していた釣り番組を見ながら、釣り用の仕掛けを作っている。
どうやらルアーと釣り糸を結んでいるようだが、普通の片結びではだめなのだろうか。
釣りが趣味なことは知っている。 されど、あそこまで熱中できるのはすごいと思う。
今この家にいるのは父とわたしだけ。 一番気になる母は、墓参りで出掛けている。
どうしても昨日のことが頭から離れないわたしは、2階の母の部屋に向かった。
昨日の話が本当なら、何か分かるものがあるかもしれない。
しかし、いくら自分の家といえど、”わたし”が勝手に人の部屋に入り込むのはご法度だ。
いけない理由も熟知している。 だとしても……。
「お母さん、ごめんね」と小さく呟き、扉をゆっくりと開けて部屋に入り込んだ。
母の部屋は6畳ほどで、ベッドに机、椅子がきれいに立ち並んでいた。
わたしの部屋と比べると、寝泊りするだけといったようなシンプルな寝室にみえる。
ひとり息をころしながら、歩を進める。
ベッドの枕元には、若い頃の父と母が写った写真が飾ってあった。
新婚旅行のときに撮った写真だろうか。 今は色あせている。
また、2人の手が繋ぐさきには小さな子どもが写ってあった。
無邪気でとても可愛らしい笑顔だった。
わたしにこんな笑顔はできないし、そもそもこの頃はまだ今の両親に出会ってはいない。
この子が……香織? 半信半疑で名前をもらした。
そして、驚くべきは今まで見たことのない、母の幸せに満ちた笑みがそこには写っていた。
これ以上の詮索は禁物だと思いつつも、目につくあらゆるものに、わたしは手を伸ばす。
机の引き出しの中を見ると、母子手帳があった。
織辺幸恵とはっきりと母の名前が書かれている。
恐るおそる手帳を開くと、あの子どもの出生記録が確かに記されていた。
「1992年1月16日出生、織辺香織。 女の子……」
ほ、本当だったんだ……。
子どもがいるかどうかなんて、知ろうと思えばいつでも知られたはずだ。
だが、冷たく接する母に、わたし自ら聞くすべなど持ち合わせていない。
こんな形で知ることになるとは。 ひとり唇を噛みしめた。
織辺家の娘になるんだと、そう父から認めてもらったあの日から、
ずっと今まで隠してきたのだろうか。 ちがう、今も隠した気になっているだけだ。
わたしが事実を知っただけに過ぎない。
手帳から目を背け、窓の外の風景を少しのあいだ見つめた。
今日から父と母にどんな顔をすればいいのだろう。
……きっと知らないほうが、幸せでいられるんだ。
自戒の念を込めて母子手帳を引き出しに戻そうとすると、
突然バタン! と背後で何かが落ちる物音がした。
手帳を持ったまま後ろを向くと、そこには帰宅した母の姿があった。
「あ」
鬼の形相、とは異なる蔑んだ目つきがわたしに突き刺さった。
あまりの出来事に、呆然と俯きかける。
「出ていきなさい」
怒りの感情も出さないで、あしらう母を前にわたしは思った。
ここで怖気づくと前には進めない。 ……意を決するときなんだと。
「あの、か、香織って女の子の……こと」
「あなたには関係のないことでしょう」
そう告げると、母は帰りに寄ったのであろう買い物袋を拾い上げ、階段を下りて行った。
部屋を出ようとする、こちらの行動など気にせずにだ。
母がわたしを邪険に扱う理由。
確信したのだ。
織辺家の娘にはなれないと。