私の娘 13.もうひとりの子どもで、いさせてほしい

 若い集団から逃げるように、公園のすぐそとに出たときいつしか、周辺の家の明かりも消え、深更を迎えていた。

さて、どうしようか。

 

自宅からは5キロほど離れていて、歩いて帰るには少し遠い。

 

冷たい背中に手を添えて、このまま家に帰ろうにも

とぼとぼと前かがみに歩く母をまず見ていられなかった。

 

周囲を見回したとき、都合よく公衆電話を発見した。

 

「ここで待ってて、お父さんに電話してくるから」

 

そう言って右手を離したとき、

 

「香織。 帰ってきてくれたのね」

 

「あ、……うん」

 

否定から入りたかった。

 

しかし、今くらいは自由に話させてあげたい。

 

交差点沿いで2人をちょうど照らしていた青色街灯は

深く澄みきり、幻想的な空間を作り出した。

 

「ごめんね、家族で撮ったあの写真。 割れてしまったの」

 

母は申し訳なさそうに、家族が揃った写真を内ポケットから取り出した。

 

暗くてはっきりと見えないが、見覚えのある写真だった。

 

「割ったのは、写真立て?」

 

そうよ、と手を震わせながら言う。

 

新しい写真立てを買いに出かけていたのだろうか。

 

「私ね、娘がいなくなる夢をたまにみるの」

 

「うん」

 

「ものすごく悲しいけれど、朝起きたら娘はちゃんといるのよ。

 …夢であったことに、ホッとしてて」

 

「うん」

 

「香織は、そんな経験ない?」

 

「ある、と思う」

 

少し表情が豊かになってきた母は、興味を示すようにこちらをみる。

 

一呼吸をおいて、ゆっくりと言葉にした。

 

「わたし、お母さんをきらいになる夢をみてしまって。

 何やっても怒られたりして、どうしたらいいのかなって考えたり」

 

正直に話すのは、とてもつらい。

 

握りしめていた両手に熱がこもる。

 

香織に怒ったことなんて。 と頭を傾げるが、それを待たずに続ける。

 

「でも。 ある日から、お母さんがとっても優しくなって、

 幸せってこんな身近にあるんだって感じたよ」

 

「そう」

 

「今のお母さんとお父さんに育てられて、とっても嬉しいし、大好きだよ」

 

それは本当の母親も、望んでいることだろう。

 

「だからね、お母さんにひとつ言いたいがあって」

 

大きく息を吸い込んで、呼吸を落ち着かせる。

 

「わたし、お母さんとお父さんの間に生まれた子どもじゃないの」

 

「え?」

 

「早季っていうんだよ、わたしの名前」

 

「じゃあ、香織はどこに……」

 

「ごめん。 それは、わからない」

 

でも! と唇をかみしめて、思いを話した。

 

「わからないんだったら、いっしょに探すし、最後まで協力したい。

 それに迷惑はかけないつもりだし、大人しくいい子でいるから」

 

だから。

 

「だから、わたしも。

 もうひとりの子どもで、いさせてほしい」

 

「そんなこと、言われても……」

 

しどろもどろになった母は、

 

「だとしたら、私の、私の娘は」

 

ガクンと地面に膝をつき、泣き崩れる母を前に、夜空を見上げる。

 

こんな経験、今までなかったのだからどうしようもない。

 

でも。

 

肝心なときに限って、自分勝手だ。

 

真っ先に自分を認めてほしいエゴなんて、いっそ消えてくれればいい。

 

そう思った。

 

 

 

 

「……お父さんに迎え頼んでくるね」

 

母をそのままにして、ひとり横断歩道を渡った先に設置された電話ボックスに入った。

 

父親に電話することなど滅多にないが、いまは緊急を要するに値する。

 

「もしもし、お父さん?

 仕事もう終わってるよね。 迎えに来てほしい」

 

疲れきったような声で、父は応答した。

 

「あぁ、出張で見に行けなくてわるかったな。

 いまどこだ? まだ神社にいるのか?」

 

「えっと、いま佐久間ニュータウンの市民公園にいてて、

 お母さんもいっしょなの」

 

え?と疑問を呈した父は、

 

「それに、いま何時だと思ってる?」

 

「いいから! 迎えに来て!」

 

「わかったわかった」

 

何か言いたげだった父を振り切り、電話を一方的に切った。

 

ボックスから出たとき、横断歩道を経た信号機の真下で母は立ちすくんでいた。

 

まだ顔色がわるそうにみえるし、はやく家に帰って休ませないといけない。

 

「お父さん、車で来てくれるって!」

 

夜の住宅街にもかかわらず、わたしは大きな声を出した。

 

ほんの少しだが、母の笑顔が垣間見えた気がする。

 

駆け足で道路を横切ったとき。

 

刹那、視界が白と黒に包まれた。

 

大きく目を見開いた母が、何かを制止するような身振りで応える。

 

早季――。

 

白く美しく照らされた母が必死に覆いかぶさるその瞬間。

 

ブレーキ音にかき消されたその名前。

 

たしかにわたしを呼んでいた。