私の娘 3.胸にしみる、いい言葉だ

 浅木町では年に一度の秋季、厄除大祭が開催される。

地元の愛称では「浅木祭り」と呼ばれ、毎年多くの人で賑っているのだ。

 

「町名をとっただけじゃない」

 

身支度を調えながら、わたしは臍を曲げてつぶやいた。

 

屋台が多く並び、祭りの中心地となる御子島神社では、獅子舞が披露される。

 

その披露のなかで、指揮をとる締太鼓の演奏がわたしに与えられた役割だ。

 

「いってきます」

 

「あぁ、夜道は気を付けるんだぞ」

 

演奏の練習をするため、父の見送りを背に、今日も地元の公民館に通う。

 

夜のとばりがおりた頃、15帖ほどの古びた畳部屋で練習は始まった。

 

年季の入った長胴太鼓に笛の音、そして神楽鈴が公民館に鳴り響く。

 

獅子舞は祭り一番の目玉だというのに、この日集まったのはたったの6人である。

 

一定のリズムで和太鼓を叩き続けるわたしは、周りを見渡して思い悩んだ。

 

都会に出ていく若者が増え、地元に残っているのは年寄りか、父と同じほどの年齢の人ばかり。

 

若手不足に悩まれる保存会のために参加したが、同じ年頃の子は未だに誰もいないとは如何なものか……?

 

同級生に頼めるものなら手伝ってもらいたい。

 

しかし、わたしのような帰宅部が誘うには気が引けるというものだ。

 

ふぅ。とため息をこぼしたとき、

 

「早季くん、ちょっとテンポ速くなってるよ。 頭の動きを見ないと」

 

「は、はい! ……ごめんなさい」

 

うつつを抜かすわたしをみて、笛を吹いていた会長は優しく注意を促した。 

 

浅木町獅子舞保存会。

 

その会長を務めている男性は、父と同級生ということもあって、

わたしには優しく接してくれている。 

 

ちょっとやそっとミスしても問題はないだろう。

 

その後は目を瞑り、わたしが叩く和太鼓の音に耳を寄せながら、うんうんと頷いていた。

 

 

 

 

        *

 

 

 

 

渋々演奏を続けている矢先、誰かが部屋に出入りする人影が見えた。

 

仕事で遅れてくる人は見かけるが、扉の開け方がどうもぎこちなく感じる。

 

正面の和太鼓から視線を移すと、扉の前には春樹くんがいた。

 

あ。 と思わず声を出してしまった。

 

「こ、こんばんは……」

 

彼は周りの大人たちに挨拶し、吸い付くように勧められた座布団に腰を下ろした。

 

「よし。 次の舞が終わったら、今日の練習は終わりにしよう」

 

わたしだけが声を上げたために勘付いたのか、会長はそう言った。

 

 

 

 

偶然すぎる出会いだ。 汗が出てきた。

 

弊の舞を叩き終えたわたしは、即座にハンカチを取り出して顔の汗を拭った。

 

だがしかし、汗は止まらない。

 

ちょうど猫の手も借りたいと思ったが、こんなに突発的な事態は初めてだ。

 

バチを持つ両手がさっきより震えてくる。

 

いつもより顔もぽかぽかとするような気がするが、最後の通し稽古だけは集中したい。

 

そう決意し、獅子舞の頭が動き始めるのを境に、わたしは演奏を始めた。

 

彼の姿は獅子舞を挟んで見え隠れしていたが、この距離だからこそはっきりとわかる。

 

わたしの演奏に彼の目は輝いているようにみえた。

 

学校でよく話し合うわたしたちでも、今は同級生に知られない時間を過ごしている。

 

緊張からくる、すぐに練習が終わってほしい気持ち。

 

しかし、この時間だけは終わってほしくないと、ふしぎな気持ちが交錯しあう。

 

意識すると、息が詰まりそうになる。 そんな時間だった。

 

長い演奏が終わるやいなや、ひとりの拍手が耳に入ってくる。

 

「早季くん、いいね~」

 

彼に続くように、会長も拍手を送った。

 

いずれは彼のことを知るつもりが、わたしから知らすことになるとは……。

 

 

 

 

無事に通し稽古が終わったあと、片付けが始まった。

 

和太鼓を裏手の道具入れにしまうと、彼も座布団や小道具を大人たちといっしょに片付けている。

 

大人たちが続けざまに帰っていくなか、彼と2人だけが廊下に残っていた。

 

「帰ろっか」

 

彼に伝えると、ガラガラと引き戸を閉めて公民館を後にした。

 

「片付けまで手伝ってくれてありがとう」

 

「うん。 その、中谷さんの演奏、すごくよかったよ」

 

「ありがとう」

 

続けて言うと安売りしてるようにもみえるが、状況も相まって、ふさわしいものだと思う。

 

胸にしみる、いい言葉だ。

 

帰り道の途中、2人が農道に入るところで、

 

「あ。 僕、こっちだから……」

 

彼はわたしが帰る道とは別の方向を指さした。 春樹くんの家がどこにあるのかは知らない。

 

ここでお別れだね。 とお互い確認し、

 

「また、休み明けに学校で」

 

「うん、来てくれて本当にありがとう。 ……おやすみ」

 

彼は振り返り、ゆっくり歩いていった。 薄暗い街灯の下で、手を上げているのが見える。

 

わたしも振り返り、軽くスキップを踏まえながら家に帰った。

 

何だか今日は幸せな一日だ。 そんな気がした。