私の娘 あとがき その2

 

昨日のつづきです。

 

 

3.テーマは「共生」

 

わたしと同じ学生時代は、一人で北海道に旅行をしたという話が突如始まり、一時間近く経ってようやく話を戻した先生が最後に発した一言。

 

「悲しみは乗り越えるものとは思わない、忘れないことだと僕は思う」

 

心の琴線に触れた言葉でした。

 

乗り越えたらもう悲しくなくなるから、といったら言葉の綾かもしれませんが、

“悲しみといっしょに忘れずに生きていく”と考えたとき、わたしは「共生」という言葉が思い浮かびました。

 

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大辞林」における「共生」の定義

 

「共生」という言葉は、もともと生物学のsymbiosisの訳語で、「異種の生物の共存様式」を意味し、

通常は「2種類の生物が互いに利益を交換しあって生活する、相利共生」を意味する。

 

 

共生の定義より

 

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共生生物学に基づくと、どうやら異種間の場合に利害関係を起こしてしまうもの。

 

「共生」というキーワードは意味が幅広く、安易につかうと誤ると思い、現代社会に生まれた人間同士の共生に焦点をあてることにしました(言葉通り、共に生きるという意味を用いて)。

 

また、創作魂に火がついたのか、2年ほど前にサークル活動の一環としてストーリーを描くことを決めました。

 

学識のない自分がひとりで書き進めるのは不可能に近く、人生の先輩方にご協力をいただいて……幸甚の至りです。

 

そうして、実話を元にフィクションを織り交ぜることにしました。

 

 

 

最愛の娘を失ってしまった幸恵さんの喪失体験の受容と、その回復過程で生まれた養子縁組の早季さん。

 

2人の関係と、先生から学んだ一言から抱いた問い。

 

悲しみを乗り越えると、大切な思い出や記憶がいずれは消えてしまうのではないかというアンチテーゼを込めています。

 

だからといって、このまま忘れないことが最大の処方箋だとしたら、これから先ずっと自分の子どもを比較対象としてみてしまうだろう。

 

そんな幸恵さんの内心と取り巻く環境もまた、意識していました。

 

“そもそも乗り越える必要があるのだろうか”

 

視点こそ早季さんでしたが、共生を選んだ2人をそっと見守ってあげてほしいです。

 

 

4.最後に

 

全く関係のない話ですが、集団面接ではよくボランティアのネタを聞くことがあります。

 

社会貢献という言葉をとなりで耳にして、過去には偽善と思っていた行動が、まさか最終的に就職活動に繋がるものだとは思いもしませんでした。

 

自ら行動し、それを経験とし、就職活動の糧にするまでがボランティアなのだと。

 

無論のこと、わたしは意識が低いのか、勝つための勉強を怠ってボランティアをしていませんでした。

 

面接の場では当然答えられるわけがなく、うまいことを言って誤魔化せる器用さもなし。

 

しかし。

 

どうにかして先生と話す機会をつくりたいと、メンバーにその話を持ち掛けたこと。

 

遠方へ赴き、実際に聞き取って、学んで、吸収できたこと。

 

自分なりに現状と課題をまとめ、何かしらの形で表現したいと決断したこと。

 

これらの一連は、もしかしたら学生時代に自ら行動できたことのひとつだったのかもしれません。

 

苦心惨憺とは大袈裟ですが、多くの人が貴重と羨む学生時代の半分近くは、上記に関する時間をひそかに過ごしていました。

 

 

以下参考にした文献とホームページ

 

遺族外来: 大切な人を失っても

河出書房新社 大西秀樹様

 

共生の本質とは

https://staff.aist.go.jp/t-fukatsu/kyouseihonnsitu.html

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門

生物共生進化機構研究グループ様

 

喪失体験からの回復過程における認知と 対処行動の変化

https://www.jstage.jst.go.jp/article/cou/44/1/44_1_50/_pdf

日本心理学会 武井優子様

 

 

Special thanks to

Dr.tsutomu,Dr.Corbyn,Mrs.kozue,Ms.haruka.