私の娘 あとがき その1
こんばんは
つむぎこです
さて、いつものあとがき。
2回に分割しました。
気がつくと、ブログ開設から1年が経っていました。
1年ってはやいです、今年だってもう半分が終わろうとしていますからね。
碌に勉強や就活をしないと卒業後どうなるのか、1年前の愚かな自分に教えてあげたいです。
さて、心のおもむくままに書き留めたら、複雑多岐な独り言のようになりましたが、最後まで読んでもらえると大変うれしいですわたしは。
1.ドクターとの出会い
学生時代、偶然にも何故か入っていた社会人サークル。
同じく属している方が、先生と深いお知り合いでした。
実際に起こった話を慎重に聞いていたわたし。
途中、後述の「遺族外来」に興味を持ち、無理言って会える機会をつくっていただいたのです。
それから約1ヶ月後。
電車に揺られて数時間、北陸の地でようやく叶いました。
お互い半分旅行のつもりだったのですが、それが先生との出会いです。
現役を退いているごく普通のお爺ちゃんにお見受けしましたが、頭の中に埋め込まれたかのような膨大な知識には感無量。
元医療従事者を前に、わたしは大変肩身が狭かったことを思い出します。
それでも懇切丁寧に説明してくださいました。
2.遺族外来という診療部門
医療の進歩と同時にインターネットの発達から広く知られている「遺族外来」。
この診療部門の存在は、同じサークルの方の話を耳にするまで、見たことも聞いたこともありませんでした。
“精神科そのものの派生形”と先生は仰っていましたが、学の浅い自分には当初 患者(外来患者)とはいえないのではないかと考えたこともありました。
なぜ遺族が外来に来るんだろう?と。
今まで患者と聞くと「治療を必要としている人」という、定義に当てはまる捉え方でいたからか。
遺族に対して、特別に感情を抱いたことがなかったことがひとつの原因だったのかもしれません。
そんな思いから遺族外来に耳を傾けながら、モノだけじゃない「言葉からみえる視野の広さ」というのも同時に考えさせられました。
黙ってひとり考えに沈んでいようと、先生は続けます。
「早期発見した子どもに対し、その親が将来起こる確率が0%ではない以上、患者ではないと断定はできないんだよ」
予防を含めた診察でもある、と。
わたしの熟考は実を結ぶどころか、植える場所から誤っていたようです。
話はとびまして。
帰宅後、インターネットで検索すると、大手メディアでも取り上げられるほど大きな存在であることを認識しました。
実は進学してから1年目と、訳あって2年目にも学んだ“包括医療”という言葉。
ご遺族の心身のケアを多面的に行うとされる遺族外来もそのひとつなのかもしれません。