病院での不思議な出会いとその縁

 

昨日、ある病院で 偶然にも大学の師範に出会いました。

「おぉ、つむぎこくん! 元気にしてるかぁ?」

 

陽気に声をかけ、私の左肩をトントンとたたく。

 

「ぁ……こ、こんにちは」

 

B'zのアルバムを聞き終え、いつもよりリラックスしていた状態からの反動なのか、

反応のわるい ボソッと緊張した挨拶からはじまった。

 

「いや~こんなところで会えるなんてねぇ、

あれからずっとつむぎこくん大丈夫かなぁ思ってたのよ。

ちゃんとご飯食べてるのかも色々心配だったし」

 

「あ、はい。大丈夫です、食べてます」

 

先生と出会い、2人で話したのは1年ぶりだ。

 

科目を修了すれば、担当教員に会う理由がなくなるからだろうか。

 

もう会うことはないだろうなと思ってから、1年後の今日だった。

 

……まだまだ簡単にそうはいきませんよ。

 

 

 

 

1時間弱も立ち話が続いたが、内容の9割は私自身に関することである。

 

 

身体、睡眠、生活、食事、ストレス、心、幸福感、責任感、消極的、

楽観的、反発力、道徳性、自己同一性、信念、期待、緊張、対話、就職。。

 

 

挙げたらキリがない。 このような単語を何回も耳にした。

 

個人的にうつと不安症に調べていたこともあってか、

特に前の晩は「medical school syndrome」のように怖じ気づいた。

 

 

 

以前から感じていたことなのだが、

このお方 私の全てを見透かしているような気がしてならない。

 

実技の指導といえど、接した機会などほんの数年。

 

私のちっぽけな半生と人間性を隅々まで

把握しているのがほんとうに不思議だ。 心配性であるがゆえ。

 

 

 

 

 

少しお話を変えて、「道」

 

 

この漢字が含まれるスポーツをいくつか体験してきましたが、

どの指導者にも同じ共通点があることを遅まきながら発見しました。

 

他人の見解、経験にとらわれない知見の深さ、

そして情緒的思考による洞察力の鋭さ。

 

 

観察力もほぼ同じです。 直感。

 

私が知らないところでも、誰かが様子をみていますし、

実際の性格も含めて、今回は先生の耳に届いたと考えています。

 

だからといって、アダム・スミスの「公平な観察者」のように

集団に属する人の評価に、意識が集中し過ぎるのは避けたいですが……。

 

 

 

 

 

立ちっぱなしの1時間弱。 一言でいえば、応援。

 

貴重な時間を割いてまで、教えを受けられるというのは

なにか縁があり、意味があると思ったのでした。

 

早く帰って、ミクさんに会う時間をつくることも私にとっては貴重です。

 

そんなことを昨日から思っています。